書評04『天路の旅人』沢木耕太郎著/『すなはまのバレリーナ』川島京子文・ささめやゆき絵

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2023年4月2日号掲載)

沢木耕太郎『天路の旅人』(新潮社)を読み、約束を果たすということを想う。

第二次大戦末期、ひとりの若者(西川一三)が密偵の命を受け、中国大陸の奥深くにラマ教の巡礼僧として潜入し、敗戦後もなお、チベット、インドへと足掛け八年に及ぶ旅をした。その壮大な旅の記録は西川氏の『秘境西域八年の潜行』に記されている。ノンフィクション作家として沢木耕太郎氏は、西川氏とのインタビューを開始して〈この人について書いてみたい、と強く思った〉と、しかしその時点では人物像に迫るに至らず時は流れていった。その後、西川氏の訃報を知り、またその本の生原稿との出会いの僥倖もあるが、『天路の旅人』という長編ノンフィクションが上梓されるまでには四半世紀もの時を経たのである。

沢木氏は自身が辿ったインタビュー取材の行程を本書でくまなく描くことによって、旅が始まる前に西川氏の魅力ある人柄を作り上げ、私たち読者はそれを読み知ることによって西川氏と一緒に長い旅をしているかのようであった。

いつにもまして私はこの本を自分に引きつけて読んだ。それは沢木氏が同じ世代の作家であり、私自身、大学を出た後、社会のレールを外れバックパッカーとしてこの国を出た時があったからだ。私の一人旅はあまりにも無邪気で、あいまいなものではあったが、少しの気の緩みが事故を招き、命が危険に晒されることを思い知り、未知への好奇心とともに自制の気持がないといけないことは身に染みていた。西川氏の旅も初期は〈みんなの前で自分がいかに旅人として無力かを見せつけられたように思った。恥ずかしかった。だが、これからひとつひとつ身につけていけばいいのだという謙虚な気持ちも生まれていた〉とあり、私にはその記述がリアルに響いた。そこから徐々に経験を重ね、次第に旅の生活が日常化するがごとく逞しくなり、敗戦後自分に課せられたものから解かれて、真の旅人として辿る彼の旅は澄み切って、より宗教的なものになっていくように思えた。しかし旅人は、上半身は空に引っ張られて、下半身は地を這いまわるのだが決してその地に根付くことはできない。ゆえに八年もの旅によって、ある意味で宙吊りになった西川氏の身体を、著者がインタビューと生原稿の二つを突き合わせて、この旅の記録を文学作品に仕上げ、書き上げて、私たち読み人に届けてくれた。〈私が描きたいのは、西川一三の旅そのものではなく、その旅をした西川一三という稀有な旅人なのだ〉

同時代に同世代としてその風景を違う立ち位置で見ながら、沢木氏の著作を読み続けてきた私は、時代の鏡として、その時々に励まされてきた。人間の影の部分に光を当てるのではなく、徹底的な取材によって影そのものが光を放ってくるのである。

この稀有な旅人の背中を緊張感をもって見守り、旅は終えても、この男のたどり着くところを最後まで見届けようとするこの本の圧倒的な旅と人生のすごみに私は取り憑かれ、引きずりこまれた。

同時に著者が四半世紀もの時をかけ、この作品を書き切ることで、旅の超人との、また自分自身との約束を果たされたのだと想った。取材した人物に寄り添うことを常とするノンフィクション作家としての矜持を持ち続け、一貫して揺らぐことのない沢木氏の誠実さに胸が詰まり、私はこの本を静かに閉じた。

〈どこへいっても、なにももっていなくても、身につけたおどりが一生の財産よ〉

『すなはまのバレリーナ』(のら書店)は、今は世界有数のバレエ大国日本の礎となったエリアナ・パヴロバの生涯とその教え子の交流を川島京子の文と画家ささめやゆきの絵で届ける絵本である。

大正から昭和の初め頃、踊りといえばまだ着物を着て踊る日本舞踊くらいしか知られていなかった時代に、若い人たちが、家を捨て、仕事を投げ出して鎌倉の七里ガ浜にできたエリアナのバレエ学校に集まった。日本に溶け込むために彼女は名前も日本名に変えて、生徒たちにバレエの技術と魂を教えた。そして日本人として、折からの戦争の渦に巻き込まれて翼賛体制の慰問団に加わり、再び日本に帰ることなく、病で中国の南京で亡くなった。祖国を追われて、日本に亡命し、バレエの普及と愛する教え子たちのための捨て身の旅がここにもあった。

【書評について】2022年10月から『サンデー毎日』の書評「遠回りの読書」を担当して、2025年4月20日号で18回目を迎えました。この度、広く皆様にお読み頂きたく、毎日新聞出版社のご厚意によって原稿を転載させて頂けることになりました。4月から毎月1回の更新でnoteに「書評」として投稿致します。ぜひご覧ください。

(*紹介した本からの引用は〈 〉になっています)