書評07『小津安二郎 老いの流儀』米谷伸之介著/『アライバル』ショーン・タン著

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2023910日号掲載)

小津安二郎生誕百二十年。〈なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う、芸術のことは自分に従う。〉有名な小津の言葉である。

小津監督の映画作品に関しての考察書籍は多いが、小津の言葉(映画のセリフ、小津自身のインタビューなど)による構成で老いに迫った『小津安二郎老いの流儀』米谷紳之介著(双葉社)を読んでみた。映画を観ていると物語の流れに魅入られ、引き込まれてしまうので、こうして違う角度からの本書を読んでいると何故か小津映画にまつわる私の想い出が甦ってきたのであった。小津作品を主に観たのは銀座にあった名画座の並木座。そして二十年前、生誕百年記念の京橋フィルムセンターでの全作品公開。一日三本立ての作品、お茶とおにぎりなど用意して何日も通ったことを思い出す。「東京物語」は国内外で評価が高いが、私は「麦秋」が好きだった。

そして今は自分の老いもあり、また次の理由で、遺作となった「秋刀魚の味」を、ことあることに配信されたものを観ている。

私は二十代後半から三十代は新劇の舞台に立っていた。それも中村伸郎さん、岸田今日子さんとの共演が大半で、その頃このお二人はアトリエ、小劇場での日本の新作書き下ろしの作品(別役実さんなど)に絞って、演っておられた。若い私は芝居とか演技とかでなくて、ただただお二人の側にいることが楽しくて幸せだった。あの人たちとまるでグルになったようで嬉しくて無我夢中の演劇での日々であった。

今、私は老いて、あの頃のことを、お二人と過ごした時間を思い出して「秋刀魚の味」を観る。この映画には老いの孤独とわびしさがあり、洗練を極めた小津映画の集大成ともいうべき遺作なのだが、私には小津作品の常連だった中村さん、岸田今日子さんのお二人に出逢える作品なのである。この「秋刀魚の味」でのバーのママとしての今日子さんの穏やかな笑みは、彼女の他の映画、ドラマ作品では見られない。この映画でしかあの生の今日子さんの微笑みには出逢えない。中村伸郎さんには稽古が終わり、通りで車に乗られるまで後にくっついて送って行ったが「有難う、でもシオミくん、私にはかまわなくてもいいよ」といつも言われた。それはあの中村さん独特のシニカルなセリフのもの言い、言葉に抑揚をつけない小津映画での中村さんの演技そのものであった。小津作品のモダニズムをお二人は実生活でも持ち合わせていらした。俳優の演技について小津監督はこんな言葉を残している。

〈巧いのが身についちゃいかんのじゃないかね。巧いというものは離れているのだからね。そのものの本質からね。〉

お二人にも同じようなことを言われていた気がする。残された映画のセリフ、小津自身の言葉は深みと矜持、屈託、ユーモアがあり、本書に書かれた、どの言葉も私たちの老いへの示唆に富み心得になる。時局に惑わされることなく己の道を映画で語った作家であるが、自身の体験した先の戦争については、劇中で苦い言葉(セリフ)を語らせている。本書はこう結んでいる。

〈小津は『秋刀魚の味』公開の翌年、十二月十二日の還暦の誕生日に人生の幕を閉じる。その生涯を一つの映画と考えれば、これも小津らしいエンドマークの打ち方なのかもしれない。映画はエンドマーク後のあと味が勝負だと語った小津の言葉に倣えば、ぼくたちは六十年経った今も小津が残した映画のあと味を噛みしめていることになる〉

正直、私の老いの道は手探りであるが昔の想い出を甦らせて、歳を重ねる喜びというものもある。私にもあんな一途な刻が時代があったのだ。小津の世界が私に貴いあと味を残してくれている。

反対に言葉のない世界、絵だけでストーリーを読者の想像力にまかせた、まるで静止したサイレント映画のような異色の問題作『アライバル』著者ショーン・タン(河出書房新社)。〈新たな土地に移民した者が、その土地で生まれ変わり、新生児のように成長していく。そこには過去の自分を捨てなければ……〉とのリードの文章がついているが、私は絵を自分の記憶とコラージュして並置させ、つなぎ合わせるように私の脳内にこの本を誘いこみ読んだが、上手く最後までは繋がらなかった。しかし思い切った想像への刺激はあった。

【書評について】2022年10月から『サンデー毎日』の書評「遠回りの読書」を担当して、2025年4月20日号で18回目を迎えました。この度、広く皆様にお読み頂きたく、毎日新聞出版社のご厚意によって原稿を転載させて頂けることになりました。4月から毎月1回の更新でnoteに「書評」として投稿致します。ぜひご覧ください。

(*紹介した本からの引用は〈 〉になっています)