書評13『放浪・雪の夜 織田作之助傑作集』織田作之助著/『名著入門 日本近代文学50選』平田オリザ著

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(202472128日号掲載)

織田作之助『放浪・雪の夜 織田作之助傑作集』(新潮文庫)が刊行された。学生の頃、やはり、まず読んだのは無頼派と言われる太宰治、坂口安吾、織田作之助。なかでも私はオダサクが好きだった。それは京都にいた大学生の頃は大阪の友人と京都でなくほとんど大阪の街で遊んでいたから、ミナミの街(心斎橋、道頓堀、千日前)、ビリヤード、麻雀、競馬、地域や人に、また大阪言葉(現在のお笑いで全国的になった関西弁ではない)に馴染んでいたこともあるだろう。

しかしここにきて傑作集の文庫とは。また表題の二つの作品「放浪」「雪の夜」は知らない題名である。織田作之助の著作集は作品が重複することが多いので書棚を探したところ四冊の本がでてきたが、やはりこの表題二編は無かったので早速購入した。あの時代に、文楽に傾倒し、銀が泣いているの将棋の坂田三吉を愛し、大阪に生きる人の精神と街を書き尽くした織田作之助。人間の偉さには、どんな偉い人でも限界がある、しかし人間の愚かさはそこなしであるが、そこにあるそこぬけの現実を著者は切迫感と技巧で物語にして独特の味わいのある世界観を示している。

「雪の夜」は大阪を離れ、別府が舞台となっている。男二人が女をめぐる愛執、嫉妬などもみな最後は白い雪に包まれるかのように消化され情感をともなう。表題二編の他は全て読んでいたものであったが、本書にはやはり名作「蛍」が収録されていた。もう何度読んだかわからないが、今回は文句なしのその作劇の巧みさと構成にあらためて魅了された。織田作之助は、初めは小説でなく劇作家を目指していたゆえに筋立てと虚構の世界を創る才がこの「蛍」でも際立っている。

市井の庶民のなかにいきなり歴史上の坂本龍馬を素材としてまじりあわせそれが物語に時代のリアルを感じさせ小説としての完成度が見事なのだ。幕末期、京都伏見の船宿・寺田屋お登勢の半生記である、登勢はそこでさまざまなひとたちを見送るが最後に坂本龍馬を見送る描写はその心情を流れる淀川を合わせ鏡にして素晴らしい。

〈お良と坂本を乗せた三十石の夜船が京橋をはなれて、とまの灯が蘆の葉かげを縫うて下るのを見送った時の登勢は、灯が見えなくなると、ふと視線を落して、暗がりの中をしずかに流れて行く水にはや遠い諦めをうつした。〉

終戦後、これからという時に織田作之助は宿痾の病による喀血を繰り返し、死ぬまでのその壮絶のなかで一年後に亡くなる。その限りある自分の命を知りながら身体を張って書いた多くの作品には、そこはかとない恥じらい、明るさとユーモアさえも感じるのは著者の真骨頂である。織田作之助、あまりに惜しいその道半ばでの短い命がまるで蛍火のようである。

NHK大阪局の朝ドラで半年くらい大阪に滞在した時、宿泊ホテルで空き時間に織田作之助をむさぼり読みながら同時に作品ゆかりのミナミの歩きを愉しんだことも思い出した。もう二十数年も前のことだ。そして三度目の織田作之助が今、私の前に現れ、作品のなかでもう忘れかけていた人間の生きる姿を読ませてくれた。大阪弁でいう、こけたもん。私もまた現実では病で社会に一度は取り残されたこけたもんなのだった。その手負いの世界には覚えがある。恥も外聞も忘れて生き切る気の遠くなるほどの哀しみ、生きるのに何が本質的であり何が本質でないのか、著書が今を生きる私に問うている、そして新しい読み物としてよみがえる。私は固唾をのむほどに真剣にまた全編を読み返していた。

そんなことで現代作家の新作もまた名著と呼ばれているものと呼応しているのではないかと思い、平田オリザ『名著入門 日本近代文学50選』(朝日新書)を手にした。近代文学の黎明期、樋口一葉、森鷗外から時系列に夏目漱石、泉鏡花などを経て現代に繋がっている。ここに示された名著を読まないのは、残された読書人生であまりにも勿体無い。著者がこれらの名著を読みたくなるようにリードしてくれているのが有難い。

〈心が折れそうになる夜には、たとえば正岡子規を思う。たとえば金子光晴の詩集を開く。寂しさに釣り出されないために文学はある。〉このように書き記した平田オリザ氏の言葉が胸に落ちる。

【書評について】2022年10月から『サンデー毎日』の書評「遠回りの読書」を担当して今年で4年目を迎えます。広く皆様にお読み頂きたく、2025年4月から毎日新聞出版社のご厚意によって過去に掲載した原稿を転載させて頂いています。毎月1回の更新でnoteに「書評」として投稿致していますので、ぜひご覧ください。

(*紹介した本からの引用は〈 〉になっています)