映画のことを話そう。

横浜の戸部の街の一画に「シネマノヴェチェント」という映写技師さんが運営されているミニシアターがある。
そこで企画された映画「12人の優しい日本人」の上映と監督の中原俊さんと私の二人トークイベントが先日催された。
今、住んでいる横浜の自宅から車で20分の所で私にはストレスにならない距離である。「12人の優しい日本人」は1991年公開であり、監督の中原さんに逢うのも30年ぶりで撮影時には話せなかったことも落ち着いて話ができると思い、映画館の支配人の心意気も感じて出かけた。
上映後も残ってくださったお客様も含めて、30年前の映画のことを、私が知っていること、知らなかったことを監督と話せたのは幸せな時間であった。
私が演劇から映画に舵を切った作品なのでその原点に立ち戻り、ここで監督と話しながら、映画全体の中身のことだけでなく、私の個人的に思い出深いこの映画スタッフの人たち、もう亡くなられた人、また年を経て、老い故にこの場に来られない愛おしい人のことをしきりに思い出していた。
心にとどまり、記憶として残っている人や物事はこの映画全体のことではなく、やはり個のものであった。全体を語るのでなく個のことを語るのが一番自分に正直なのだと思った。

場所が横浜のディープで不便な所なのに、懇意にしている出版関係の友人が二人連れで来てくださっていた。このイベントに私が出ることは、私のホームページをチェックしていないとわからないので、ホームページを見てくれて来てくださったことが本当に有り難いことであった。
そしてまた、ある人は映画と関係なく、私の書いたエッセイ『歌うように伝えたい』の本へのサインを望まれ、それが1年前の初刷りの刊行本だったので(現在は6刷)私は驚き、今日は映画のことだけでなくステキな二つの出会いが確認できて、この出逢いも含めた全てが「31年経った私の12人の優しい日本人」という映画が着地した豊かさであり、長い時間を経たこの映画の大切な、幸福な広がりがあったと感じ入った一日であった。