書評09『日日雑記』武田百合子著/『ツユクサナツコの一生』益田ミリ著

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2023年12月24日号掲載)

季節の変わり目、ある日、いきなり39度の発熱、とんでもなく苦しくこれはもしかしてと、翌朝直ぐに発熱外来を予約して病院に駆け込んだ。パーティションに区切られ抗原検査、ついにコロナか……。15分、診察室で検査結果、陰性。風邪とのこと、処方箋をもらい、直ぐに帰宅。自宅での安静。ジッとベッドに横になっていたがその日も夜中になっても熱が下がらない。肺炎を心配して医師は熱と咳が治るまで安静にと。病院での絶対安静は経験したが自宅での安静状態というものの加減がわからない。まる二日間横になっていて、三日目に熱が引いてソファを陽射しの差し込む部屋の隅に移動して起きて過ごす。

こんな時に読む本は息がつまるようなものは敬遠、いままで何度も読んできたがこの度文庫新装版がでた武田百合子さんのエッセイ『日日雑記』(新装版・中公文庫)を手元においた。武田百合子最後の著書であり、冒頭に〈−−いなくなった人たちに〉と言葉が添えられているからか、この本はいつもの観察力、ユーモアと澄んだ文章が彼女の他の著書以上に研ぎ澄まされているように思った。

昭和最後の三年を綴った雑記であり、頻繁に出てくる映画の話(あの頃、街角に乱立していたビデオショップなどが懐かしい)埴谷雄高、大岡昇平、吉行淳之介、昭和の文学者とのつきあいと同時に山荘の管理人、また代々木公園のホームレス、飼い猫の玉を見つめる目線が全て等価で深い愛があり秀逸である。私の先輩女優さんがあるパーティで百合子さんに会い、初めて同性のひとに嫉妬したと私に話され驚いたことがある。魅力的なひとであったのであろう。

「ある日」として括られ綴られた日々の思いはどこから読んでもすばらしい。対象に選んだもの、ひとへの興味と気分の描写にゾクゾクする。

人生で避けられないもの、哀しくて美しいのは別れの時である。深沢七郎氏の告別式に間に合わず、焼き場へ出発する車を少し離れたところらから拝み、見送る。もう主の居ない深沢宅の様子を見て、〈畑のような庭。植木や泥や石ころや板ぎれや、転がっているスコップや如雨露。柵の向こうの雑然とした景色。それらをさーっと見回し、目薬をさすように眼に入れて帰ってきた。〉親しい人との別れを、この様な客観的な描写で綴り、亡くなった当人の生活の在り様が偲ばれる鮮やかな文章だと思う。

昭和の時代……。著書を読んでいて私は若かったあの頃、ひたすらに前を向き何かを追い求めて過ごした自分は、本当に大事なことを見過ごしてきたのではないかと、まだ少し火照っている身体で思っていた。

そして風邪が抜けて巡回バスに乗り駅前の書店へ行き、読みたかった益田ミリさんの『ツユクサナツコの一生』新潮社)を購入した。

私は益田ミリさんの漫画のファンなのである。柔らかなシンプルな画、穏やかな関西の言葉(私も関西育ち)、そして彼女の含羞、父親の存在も老いた私を引きずりこむ。益田さんの作品はどこかに一コマ空白があったり、また引いた画が読者の想像に任せ、こちらに何かを問いかけている。

この本は、淡々とコロナ禍の日常生活を描いている。わかり合おうとする人たちの苦悩と思いやりの物語、結末には静謐な驚きがある。著者の滋味のある言葉を数箇所書き出してみた。

〈人生で大切なことって/帰りたいところに/帰れることや〉

〈いばるんはまだマシやわ/ホンマにしょうもないのは/見下してくるタイプや〉〈なんやろな/見下してええと信じとる理由が、薄ら寒いんやよな〉

〈いつか自分が死ぬときって、/どんな感じなんやろ〉〈いつか絶対死ぬってわかってて生きてるのって/よう考えたら凄まじいよな〉

著書『ツユクサナツコの一生』を読むにあたり私は自家製の益田ミリ眼鏡をかけてみた。作品にはその眼鏡が感知する透明感があり、レンズに映る日常のゆらぎ、移ろいとあいまって著者自身の生きることへの真摯な姿勢が見えてくるのだ。その書き割り風の景色、家の中は距離感を持たないだけに暗示に満ちている。

コロナのマスク生活のあの二年を異様な体験として共感する時間が流れ、私もあの頃を忘れることはない。

益田ミリ眼鏡を外すと、武田百合子さんがコロナの時を生きてらしたらどんな「ある日」を書かれたのだろうかとも思った。

【書評について】2022年10月から『サンデー毎日』の書評「遠回りの読書」を担当して、2025年4月20日号で18回目を迎えました。この度、広く皆様にお読み頂きたく、毎日新聞出版社のご厚意によって原稿を転載させて頂けることになりました。毎月1回の更新でnoteに「書評」として投稿致します。ぜひご覧ください。

(*紹介した本からの引用は〈 〉になっています)

書評08『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』坂本龍一著/『ぼくはこんな音楽を聴いて育った』大友良英著

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2023115日号掲載)

昨年末、彼の配信されたピアノ・ソロ、その最後の演奏を観た。鍵盤に触れる指先、その手の動きは静かに虚空を舞う。馴染みのある楽曲も全て聴くことができ、ゆったりとして深みのある編曲は流石だと感じ入り堪能した。その姿からは、痩せてはいたが演奏の集中力が醸し出す強さがあり、死の影を感じさせることなく、曲を聴かせるという一点でやはり超一流の音楽家の矜持を感じさせてくれ魅了された。そして彼、坂本龍一はこの一冊を残して私たちの前から、この世から消えてしまった。

『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』(新潮社)著者坂本龍一。

2014年に中咽頭癌が発覚してからの歳月を自らのモータリティ、死を見つめながら、消えかかる生命の灯のなかでの音楽、家族、パートナー、社会、友人、恩人、芸術などへの思索、知性を感じる圧倒的な著作であった(聞き手鈴木正文氏の寄り添いと構成が素晴らしい)。YMO時代からの音楽シーンと映画における存在、社会への提言……。著書を読んで彼が(少し歳下だが、彼は東京育ちで高校時代からの全共闘世代だった)1960年代後半から70年代の文化、風俗、芸術、あの頃に青春を駆け抜けた時代感覚を含め、彼が同時代、同世代の中で傑出した芸術家の一人であったことを改めて思った。

〈音楽は時間芸術だと言われます。時間という直線の上に作品の始点があり、終点に向かって進んでいく。だから時間はぼくにとって長年の大きなテーマでした。/それでも自分自身が健康だった頃は、どこか時間の永遠性や一方向性を前提としていたところがあったのですが、生の限定性に直面した今、これまでとは違った角度から考え直す必要があるのではないかと感じています〉

私も同じ2014年に病に倒れてからの十年は終わりの見えない後遺症と不安、健全な時には思いもしなかった生と死をリアルに抱えて過ごす日常の中で、自分では説明できない感情がこの著書には心に響く言葉と示唆に富む世界があった。彼は言葉で語り書くことで自己の内面に生じた不条理な部分を、精神のカオスに陥ることなく秩序あるものに変えられたのであろうか。

著者の知見は音楽のみならず映画においてもみられる、B・ベルトルッチ、A・イニャリトゥ、大島渚、そして小津安二郎への偏愛。残りの時間を意識したのであろう、失われてしまったことへのノスタルジー。

〈この光景はもうどこにも存在しないのだという『非在』の感覚がどうしようもないほど郷愁を誘ってしまう〉〈ゆえにぼくは、郷愁の感覚こそ、芸術の最大のインスピレーションのひとつだと思うんです〉。そして〈ガンになったのも何か理由があるのだろうし、結果的にそれで亡くなってしまっても、それはそれで本来の人生だったんだ、と達観している部分もある〉。また〈そして死んだらお星様になるという素朴なファンタジーを、今のぼくは決して否定したくありません〉。死と向きあう覚悟とそのロマネスクな想いが胸を打つのである。

彼がもうこの世にいないことに呆然としながらも、この本を残してくれたことにありがとうと言いたい。寂しさと同時にシンとした気配に包まれ、次は私なのだとの気持ちにもなり、今の、つかのまの自分の生を噛みしめている。

現代の日本の音楽シーンを担っている一人、大友良英。著作『ぼくはこんな音楽を聴いて育った』(筑摩書房)をひっぱり出して読んだ。題名の通り、著者の子供の頃からの音楽遍歴である。〈あまりにもプライベートな、恥ずかしくもある内容ですが、でも、ボクにとっての音楽は、いつでも個人的な記憶とごっちゃにあるものなんです〉。軽いタッチでユーモアもあり、味わい深いがその記憶が音楽への愛と深さが半端ではなくて、その時々の時代背景が鮮やかに見えてくる。それは彼が作り出すサウンドもドラマの劇伴作品(日本の朝に溶け込んだ朝ドラ「あまちゃん」等)も、大きな構えとひろがりが見え、ポップでディープな音楽遍歴が鮮やかに立ちあがってくるのだ。そこが彼のレアな立ち位置であり、ブレがない。文字通りあらゆる音を楽しむ彼の脳裡には、音は音楽は、瞬間に感光して、焼き付くものなのだろう。

坂本龍一氏の著書には亡くなる間際まで友人である大友さんに提供する音源を作っていたとあった。

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書評07『小津安二郎 老いの流儀』米谷伸之介著/『アライバル』ショーン・タン著

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2023910日号掲載)

小津安二郎生誕百二十年。〈なんでもないことは流行に従う、重大なことは道徳に従う、芸術のことは自分に従う。〉有名な小津の言葉である。

小津監督の映画作品に関しての考察書籍は多いが、小津の言葉(映画のセリフ、小津自身のインタビューなど)による構成で老いに迫った『小津安二郎老いの流儀』米谷紳之介著(双葉社)を読んでみた。映画を観ていると物語の流れに魅入られ、引き込まれてしまうので、こうして違う角度からの本書を読んでいると何故か小津映画にまつわる私の想い出が甦ってきたのであった。小津作品を主に観たのは銀座にあった名画座の並木座。そして二十年前、生誕百年記念の京橋フィルムセンターでの全作品公開。一日三本立ての作品、お茶とおにぎりなど用意して何日も通ったことを思い出す。「東京物語」は国内外で評価が高いが、私は「麦秋」が好きだった。

そして今は自分の老いもあり、また次の理由で、遺作となった「秋刀魚の味」を、ことあることに配信されたものを観ている。

私は二十代後半から三十代は新劇の舞台に立っていた。それも中村伸郎さん、岸田今日子さんとの共演が大半で、その頃このお二人はアトリエ、小劇場での日本の新作書き下ろしの作品(別役実さんなど)に絞って、演っておられた。若い私は芝居とか演技とかでなくて、ただただお二人の側にいることが楽しくて幸せだった。あの人たちとまるでグルになったようで嬉しくて無我夢中の演劇での日々であった。

今、私は老いて、あの頃のことを、お二人と過ごした時間を思い出して「秋刀魚の味」を観る。この映画には老いの孤独とわびしさがあり、洗練を極めた小津映画の集大成ともいうべき遺作なのだが、私には小津作品の常連だった中村さん、岸田今日子さんのお二人に出逢える作品なのである。この「秋刀魚の味」でのバーのママとしての今日子さんの穏やかな笑みは、彼女の他の映画、ドラマ作品では見られない。この映画でしかあの生の今日子さんの微笑みには出逢えない。中村伸郎さんには稽古が終わり、通りで車に乗られるまで後にくっついて送って行ったが「有難う、でもシオミくん、私にはかまわなくてもいいよ」といつも言われた。それはあの中村さん独特のシニカルなセリフのもの言い、言葉に抑揚をつけない小津映画での中村さんの演技そのものであった。小津作品のモダニズムをお二人は実生活でも持ち合わせていらした。俳優の演技について小津監督はこんな言葉を残している。

〈巧いのが身についちゃいかんのじゃないかね。巧いというものは離れているのだからね。そのものの本質からね。〉

お二人にも同じようなことを言われていた気がする。残された映画のセリフ、小津自身の言葉は深みと矜持、屈託、ユーモアがあり、本書に書かれた、どの言葉も私たちの老いへの示唆に富み心得になる。時局に惑わされることなく己の道を映画で語った作家であるが、自身の体験した先の戦争については、劇中で苦い言葉(セリフ)を語らせている。本書はこう結んでいる。

〈小津は『秋刀魚の味』公開の翌年、十二月十二日の還暦の誕生日に人生の幕を閉じる。その生涯を一つの映画と考えれば、これも小津らしいエンドマークの打ち方なのかもしれない。映画はエンドマーク後のあと味が勝負だと語った小津の言葉に倣えば、ぼくたちは六十年経った今も小津が残した映画のあと味を噛みしめていることになる〉

正直、私の老いの道は手探りであるが昔の想い出を甦らせて、歳を重ねる喜びというものもある。私にもあんな一途な刻が時代があったのだ。小津の世界が私に貴いあと味を残してくれている。

反対に言葉のない世界、絵だけでストーリーを読者の想像力にまかせた、まるで静止したサイレント映画のような異色の問題作『アライバル』著者ショーン・タン(河出書房新社)。〈新たな土地に移民した者が、その土地で生まれ変わり、新生児のように成長していく。そこには過去の自分を捨てなければ……〉とのリードの文章がついているが、私は絵を自分の記憶とコラージュして並置させ、つなぎ合わせるように私の脳内にこの本を誘いこみ読んだが、上手く最後までは繋がらなかった。しかし思い切った想像への刺激はあった。

【書評について】2022年10月から『サンデー毎日』の書評「遠回りの読書」を担当して、2025年4月20日号で18回目を迎えました。この度、広く皆様にお読み頂きたく、毎日新聞出版社のご厚意によって原稿を転載させて頂けることになりました。4月から毎月1回の更新でnoteに「書評」として投稿致します。ぜひご覧ください。

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書評06『明日も一日きみを見てる』角田光代著/『あらわれしもの』最上一平著、ささめやゆき絵

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2023716日号掲載)

通じ合うはずのない回路に、なにやら温かいものがまじり響きあう。

私は人の目を見て話すことが苦手である。だからといって、相手に対していい加減なことを言っているわけではない。少し目線を落としてはいるが、正直にものを言い、キチンと伝えたいことを話す。多分、相手にも通じている……と思う。もうここまで来たら、人間社会ではしかたがない。

「キミ、その棒みたいなものは何だい?」「うん、これは杖と言ってね、歩く時には便利なんだ」「ふーん、まっ、いいか、オイラについて来なよ、一緒に散歩に行ってやるよ」「お願いします……」庭を横切り、人通りのない静かな通りに出る。後を付いて行くが三軒先の大きな庭の家の前まで来るといつの間にかいなくなる。あまりの私のユックリとした歩きに呆れ、また愚痴を聴くのもウンザリなのであろう、天気の良い日はそんなことのくりかえしなのであった。

引っ越してきて二年になる。庭先に黒猫(黒ゴマと勝手にウチで名付けている)が姿を見せるようになって半年、黒ゴマくんはいつもジッと私の目を見てくれるので、私も思わずその目に引き込まれて見返して話しかける。

角田光代さんの『明日も一日きみを見てる』(KADOKAWA)を読む。前作の『今日も一日きみを見てた』の続編で、著者と愛猫トトちゃんが無条件に向き合う愛情あふれる生活交流エッセイである(著者の一軒家への引越し猫エピソードもある)。そこで、著書にならい私たちも高層住宅から一軒家に引っ越したのを機に、諸事情で飼えなかった念願の猫との暮らしを思い、ウチで飼う決断をした。

さくら耳の黒ゴマくんに、その目を見て聞いてみた、「どうだいウチの猫になるかい?」黒ゴマ君はジーと考えていたようだが、「フンッ」と頭を傾げて、隣家との境になる塀に駆け上がり向こうに消えた。何軒かの家に出入して自由に暮らす道を行くんだなと……。それで保護猫譲渡カフェに行き、家のものが直感で決めた猫(生後七ヶ月オス)がやってきた。名前はうずら豆模様なのでウズラと名付けた。ゴロンゴロンと懐くが、歩きやジャンプはサバンナのライオンの歩きのように(実際には見たことはないが)格好が良い。テレビで岩合さんのネコ番組を観ていたら、いきなりテレビの画面をめがけて飛び込んだ。二、三匹の猫たちが画面には映っていたので仲間と思ったのだろう。保護猫カフェでは他の猫たちと遊んでいたのだからな。生後三週間で置き去りにされていたらしい。テレビ画面に飛びつく様を見ていたら、この子は精一杯生きてきたんだと胸が締め付けられた。

角田さんが猫(トト)に身も心も全開して書かれているこの本は猫界初心者の抱える緊張や不安をユーモアに変えてくれる。愉しみながらも有難い著書なのである。

家の中の空気に柔らかな風が吹き、何もかも見透かされたような驚きがやってきた。生命あるものは全てが繋がりあっていることをあらためて思う。まだ一歳足らず、ウズラは私よりきっと長く生きるであろう、ウチの人たちを頼みますよ、と話しかけたりする。ウズラはわかったよ、とばかりにゴロンゴロンと伸びをして転げる。

著者のあとがきが胸に落ちる。〈ものごとは変わっていく。だから、せめて私の日々に大きな変化がないようにと、思うようになった。猫のいる暮らしのしずけさのなかにいたい。昨日と同じ今日、今日と同じ明日をくり返していきたい。それこそが幸福だと思うようになった〉

小さきものが私の中にジワッと立ち上がり、そこにあらわれたものに感情を寄せていく静かな時間。こんな気分に包まれた時には、いつも手に取る本がある。『あらわれしもの』最上一平著、ささめやゆき絵/新日本出版社)である。

山里の集落に住む老人たちの短編集。亡くした妻との一夜の出逢い、一歳二ヶ月の孫とのたどたどしい交流と夢想。今はこのような本の世界のやさしさに紛れこみたい。

今日は留守番である私の前にウズラは安心しきって身を投げ出し寝そべっている、ときどきふりむいて私を確かめる。目が合う、思わず笑みがこぼれる。

今度逢う人には、ジッと目を見て話してみようかな……と思う。

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書評05 『晴れときどき涙雨』髙田郁著/『あなたの牛を追いなさい』升野俊明、松重豊共著

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2023521日号掲載)

私がその人と会ったのは江戸時代の大坂、橋のたもと、真冬であったが、辺りは淡い陽射しに包まれていた。撮影現場、ドラマの原作者と役の中の人としてである。作家・髙田郁さん。

あの日から随分と歳月が経った。そして今、刊行された髙田さんのエッセイ『晴れときどき涙雨』(ハルキ文庫)を手に取り、ゆっくりとあの日をたぐり寄せるかのように読む。

温かい心の機微が著書各編のエピソードの芯を貫いている。著者が出逢う人と相互に心を開いていく世界の描写には、私たちが今、どうしても捨ててはいけない感情が呼び起こされる。

〈哀しみと苦さと滑稽とが胸に込み上げて、私は涙を零しながら笑った〉

著者の身の回りにおきたリアルなこと(行き交った友情、家族への想い、体験された震災の現実、幼き日への回顧、市井の人たちとの出会いと別れ、夢を追いかけた青春の日々)、その時々の記憶はいつの時代も漂白されることのない人間関係が色づき鮮やかである。

ただ揺さぶられた心情を、感じたことを、著者が持つ独自の目線を持って書かれた各編はしみじみとして、まるで短編の物語を読んでいるようで、何度も読み返してしまう。

私は病の後遺症のせいなのか、いっとき食に変化があらわれた。心配した妻が著者の小説『みをつくし料理帖』の〈何かを美味しい、と思えれば生きることができる〉を思い、「今日は『みをつくし料理帖』からの……」等と言って一品を作ってくれたりして、私も徐々に元通りの食生活に戻っていったこともある。作品が現実とクロスして生活の中を行き交ったのだった。

人には歓びもあれば悲しみもあり、他人には計り知れない労苦があるのは、みんな当然のように知っている。しかし、昨今は大きな同じ感情の塊にのみ込まれ、一人一人の個人に対する温かくもひたむきな対応と想像力が欠けているのではと。そこのところの感情が痩せてしまうと駄目なのだとこのエッセイを読み、つくづく思った。

人間を突き動かすものは何だろう……。髙田さんがいろいろな現実の暮らしのなかで懸命に生きている人たちの息づかいに合わせて一緒になって歩き続けてこられた18年間の出来事をまとめ記された記憶の一冊。

〈あなたが幸せなら、遠くからそっと。/悲しみや苦しみに押し潰されそうならば、その傍らに。〉著書が語りかけている。

俳優という生業は、劇場の舞台に立ち、カメラの前で何者かになり虚の世界を生き、そして自分自身の日常(実生活)を送る。この二つの世界の呼吸の仕方は当然違うであろう。しかし長くその生活が続くと、二極化された現実は溶け合い、自然に身体は馴染んでいくものと思う。だが身体は反応しても、頭は、精神はどうだろうか、その対応にはかなりのタフさが必要だ。

多忙であろう松重豊が「十牛図」に気持ちが傾いていたのに驚いた。シンプルな生き方の道筋の中にこそ平面的でない深さがあり、俳優として必要なのではと足を止めた彼は、そこに自分のパーソナルな世界を希求したのだろう。

著書『あなたの牛を追いなさい』桝野俊明、松重豊共著/毎日新聞出版)はその精神世界を言語化したものだとわかる。そしてひたすらに枡野氏の話を聞き、教えてもらおうとする真摯な姿勢が対談形式としての説得力をもち、私たち読み人をこの世界に導き易くしてくれている。

単一的な芝居、人生から何処かに行こうとしている彼の姿がこの著書に垣間見える。自分の立ち位置を少しずつ(書くことやラジオなどを含め)ズラす作業を繰り返しながら、演じるという際限なく広がる世界から、今度は奥のある深いところに行こうとしているのだなと思った。

60歳になったという。彼がこれからの新しい役者というものの行き先を切り拓いてくれるような気がして、頼もしい。

著書を読みながら、映画の撮影で、まだ夜の暗闇が少し残る明け方の時間、大きな荷を背負って真冬の月山(がっさん)を登る著者の顔が思い出された。まるで深い山のふところに誘われるように霧の中に消えていった。

あの時はもう牛を追っていたのだろうか。

「シオミサンは少し頭でいろいろ考えすぎですよ、頭で……」と笑われるかもしれないが、それも良しと思っている。

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「肋骨ポキリ」とネコくん

いつも私にはクールな態度でいるウズくん(ウチのネコ)。
先日、私は家の中で躓いて胸を打ったあとで痛くなり、病院へ。レントゲンでは大丈夫だったが血液検査でどうも内出血しているとのことで、CTを撮ると背中側の肋骨が骨折していた。しかし治療としては痛み止めとコルセット、安静でいるしかない。帰宅して暑いなか横になる。
少しウトウトしていたら、ウズくんがベッドに上がってきて顔のところにいて、目が合うと「ナオル、ニャオル……」と言っている。「エッ、治る、治る、と言ってるの?」と聞いたら、彼はシッポをピクピクさせている。私が昼間にベットで寝ていることはまずないので、彼は心配したのだろうと思うと、なんて奴なんだ、と私は少し胸がつまり、「肋骨、ポキリなんだ……」と言ったら、いつものアッソって感じで涼しいところへ飛んでいった。つづく。

書評04『天路の旅人』沢木耕太郎著/『すなはまのバレリーナ』川島京子文・ささめやゆき絵

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2023年4月2日号掲載)

沢木耕太郎『天路の旅人』(新潮社)を読み、約束を果たすということを想う。

第二次大戦末期、ひとりの若者(西川一三)が密偵の命を受け、中国大陸の奥深くにラマ教の巡礼僧として潜入し、敗戦後もなお、チベット、インドへと足掛け八年に及ぶ旅をした。その壮大な旅の記録は西川氏の『秘境西域八年の潜行』に記されている。ノンフィクション作家として沢木耕太郎氏は、西川氏とのインタビューを開始して〈この人について書いてみたい、と強く思った〉と、しかしその時点では人物像に迫るに至らず時は流れていった。その後、西川氏の訃報を知り、またその本の生原稿との出会いの僥倖もあるが、『天路の旅人』という長編ノンフィクションが上梓されるまでには四半世紀もの時を経たのである。

沢木氏は自身が辿ったインタビュー取材の行程を本書でくまなく描くことによって、旅が始まる前に西川氏の魅力ある人柄を作り上げ、私たち読者はそれを読み知ることによって西川氏と一緒に長い旅をしているかのようであった。

いつにもまして私はこの本を自分に引きつけて読んだ。それは沢木氏が同じ世代の作家であり、私自身、大学を出た後、社会のレールを外れバックパッカーとしてこの国を出た時があったからだ。私の一人旅はあまりにも無邪気で、あいまいなものではあったが、少しの気の緩みが事故を招き、命が危険に晒されることを思い知り、未知への好奇心とともに自制の気持がないといけないことは身に染みていた。西川氏の旅も初期は〈みんなの前で自分がいかに旅人として無力かを見せつけられたように思った。恥ずかしかった。だが、これからひとつひとつ身につけていけばいいのだという謙虚な気持ちも生まれていた〉とあり、私にはその記述がリアルに響いた。そこから徐々に経験を重ね、次第に旅の生活が日常化するがごとく逞しくなり、敗戦後自分に課せられたものから解かれて、真の旅人として辿る彼の旅は澄み切って、より宗教的なものになっていくように思えた。しかし旅人は、上半身は空に引っ張られて、下半身は地を這いまわるのだが決してその地に根付くことはできない。ゆえに八年もの旅によって、ある意味で宙吊りになった西川氏の身体を、著者がインタビューと生原稿の二つを突き合わせて、この旅の記録を文学作品に仕上げ、書き上げて、私たち読み人に届けてくれた。〈私が描きたいのは、西川一三の旅そのものではなく、その旅をした西川一三という稀有な旅人なのだ〉

同時代に同世代としてその風景を違う立ち位置で見ながら、沢木氏の著作を読み続けてきた私は、時代の鏡として、その時々に励まされてきた。人間の影の部分に光を当てるのではなく、徹底的な取材によって影そのものが光を放ってくるのである。

この稀有な旅人の背中を緊張感をもって見守り、旅は終えても、この男のたどり着くところを最後まで見届けようとするこの本の圧倒的な旅と人生のすごみに私は取り憑かれ、引きずりこまれた。

同時に著者が四半世紀もの時をかけ、この作品を書き切ることで、旅の超人との、また自分自身との約束を果たされたのだと想った。取材した人物に寄り添うことを常とするノンフィクション作家としての矜持を持ち続け、一貫して揺らぐことのない沢木氏の誠実さに胸が詰まり、私はこの本を静かに閉じた。

〈どこへいっても、なにももっていなくても、身につけたおどりが一生の財産よ〉

『すなはまのバレリーナ』(のら書店)は、今は世界有数のバレエ大国日本の礎となったエリアナ・パヴロバの生涯とその教え子の交流を川島京子の文と画家ささめやゆきの絵で届ける絵本である。

大正から昭和の初め頃、踊りといえばまだ着物を着て踊る日本舞踊くらいしか知られていなかった時代に、若い人たちが、家を捨て、仕事を投げ出して鎌倉の七里ガ浜にできたエリアナのバレエ学校に集まった。日本に溶け込むために彼女は名前も日本名に変えて、生徒たちにバレエの技術と魂を教えた。そして日本人として、折からの戦争の渦に巻き込まれて翼賛体制の慰問団に加わり、再び日本に帰ることなく、病で中国の南京で亡くなった。祖国を追われて、日本に亡命し、バレエの普及と愛する教え子たちのための捨て身の旅がここにもあった。

【書評について】2022年10月から『サンデー毎日』の書評「遠回りの読書」を担当して、2025年4月20日号で18回目を迎えました。この度、広く皆様にお読み頂きたく、毎日新聞出版社のご厚意によって原稿を転載させて頂けることになりました。4月から毎月1回の更新でnoteに「書評」として投稿致します。ぜひご覧ください。

(*紹介した本からの引用は〈 〉になっています)

渥美清さんのこと。昔のことを思い出す。

劇団にいながら、つかこうへいさんの芝居を演るようになって2年が経ち、渋谷パルコ劇場にて新作「幕末純情伝」の幕が開いた。幕末に生きた新撰組をつかこうへい氏の独特の解釈で書かれた物語である(後、映画化もされた)。僕は土方歳三の役であった。

初日の幕が開き、緊張感も薄れて、いつものつか芝居の観客に観せるというよりも、観客を巻き込んで劇場が一体化する、笑いと泣きの緩急。いわゆる俳優もノッた状態。

そんなある日、開演前の楽屋で桂小五郎役である東京ヴォードヴィルショーの石井愃一さんが緊張気味に「今日は渥美清さんが観に来てくれる、緊張するわ」と言われた。石井さんは以前渥美さんの付き人をされていたという。楽屋は少し騒ついたが、つか芝居にはその頃の名のある俳優さん達が押し寄せているので、なんのことはなく、私もへえー渥美清さんか、と思いつつそんなことも忘れていつも通りに本番の幕が開いた。

劇の半ば過ぎ、舞台上の私は桂小五郎役の石井さんが舞台袖で出番を待っているのを確認。私、土方が声をかけての桂小五郎の登場である。そこで私は大声をあげた「さくら!」

……と、言っている私は、頭の中が一瞬真っ白になった。「かつら!」を「さくら!」と言ったのだ。さくらは映画「男はつらいよ」の渥美さん演じる寅さんの妹の名前だ。私はうろたえたが石井さんは堂々と桂小五郎で舞台上に登場して、台詞を言っている。間違いに気づいていないのか⁉︎ 客席も揺るがない、劇に集中している。まさか、私が「さくら」と言ったとは思っていないのか、誰も。幕が降りて、芝居が終わっても誰もそのことは言わない、それを私だけが今も覚えている。私の膨大な台詞量の中に、渥美清さんが無意識に潜み忍び込んでいたのだろう。あの時から多くの舞台も演ったが、私は一度も虚(芝居)の自分を信じていない。

渥美清さんが客席で「エッ、まさか」と思ってくれていたら、嬉しいなと思う。テレビでは何回も「男はつらいよ」は放送されている。時にはシンミリしたりすることはあるが、何時もあの日の舞台を思い出す。誰かに話したくて初めて此処に書いた。

平成の始まった年だから30年以上が経った、時効であろう……。

渥美清さんには一度も会ったことは無い。

書評03『見えない音、聴こえない絵』大竹伸朗著/『異郷の陽だまり』野見山暁治著

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2023年2月12日号掲載)

2006年10月、東京都現代美術館での「大竹伸朗全景1955―2006」展。観に来ていた人たちはまるで別の世界に誘われたようにみんな興奮していた。屋上には本物の「宇和島駅」の電飾ネオンが光り、企画展示室の3階から、氏の6歳から作ったもの、日記、貼り絵などから時系列に全館を使って展示された作品2000点。私はとても一日では見切ることができなくて二日間かけてやっとの、前代未聞の美術展だった。その日の日記に【全フロアの作品群に圧倒され自分の生業をやっていくなかで、突き詰める、そして中身を問うという意味でも大竹伸朗氏の展開力は自分にとって大事な存在である。】と記している。その「全景」展の前後に大竹さんにまとわりついた創造への衝動や気配を言葉に置き換えて書かれた著書『見えない音、聴こえない絵』(ちくま文庫)がこの度文庫化され発売になった。

私は美術館に行って、一つ一つの作品を理解しようと観ているわけではない。ゆっくりと歩き回って観ているのだが、何故か足の止まる作品がある。その時はその作品への集中力を高め、時間をかけて観る、そして自分の中のどの部分が反応して囚われたのかを考える。対象がいかに難解であってもそれが私の嗜好といえるものなのだと思っている。本や映画を選ぶ、また好きな音楽を聴く感覚も同様である。そして無数のそうした作品の中で足を止め直感的にチョイスしたものによって、自分を知り、己の個というものを意識するのであろう。

今、色んな分野で影響力のある若いトップランナーたちの中で大竹さんの作品のファンが増え続けている。それは彼の創作に向かう姿勢と膨大な質量の作品への説得力が個々に訴えかけるからであろう。理解し難い作品であっても彼らの感性がそこに本物を嗅ぎ分けるチョイスをして「大竹さんは格好良い」という表現をして自分たちの活動の原動力にしているように思える。美術、絵画などをただ鑑賞するのでなく生き方や生活の励みとして取り込む新しい芸術へのアプローチが始まった。

大竹さんは画家であり美術家なのだが、彼こそはアーティストと言われるのが相応しい作家の一人だと思う。氏の圧倒的な作品と迫力は接した者の心を揺さぶる。そこには説明できない孤高があり、懐かしさを持った根源的なものがある。私は妻と北海道の別海、瀬戸内海の直島、常滑での「焼憶」展、水戸の「ビル景」展などにも作品と向き合うために時間に余裕を持って観に行ったが、展覧会に関わった地元の方々とか道案内をしてもらった人たちのことを作品と一体化して思い出す。その全てが大竹さんの世界に包まれているような気がして贅沢な美術の旅をさせてもらった。東京国立近代美術館で「大竹伸朗展」が(*2023年)2月5日まで開催されている。

画家、野見山暁治102歳。

〈あれからかなりの歳月がたつ。もう一度、あのしじまに立って、今の自分を見つめてみたい〉

氏の創作意欲は、命は使う時に(つまり生きている時に)使わねば意味がない、と言わんばかりである。私が野見山さんの著作に触れたのは、アート系の書店で手にした『四百字のデッサン』であり、それから絵画展にも行くようになった。絵の見方がわからない私にその著書から具象と抽象の違いを言葉でわからせてくれたりもした。

氏の展覧会で会場に入った瞬間に、いつも目に飛びこんで来るのは「青」の色である。透明で哀しくて明るい、痛切、諧謔(かいぎゃく)、果てしのないブルー。それは野見山さんの遠近メガネを通して書かれた多くの著作にも感じる。

一冊にしぼりきれないが、ここでは『異郷の陽だまり』(生活の友社)を取り上げたいと思う。リアルで執拗な観察と表現をもって書かれた戦争、パリでの交友録、無言館、震災、鎮魂、生と死……。

〈ぼくは他愛のない顔のまま年をとった。経験を見事に刻みこんだ老人もいるが、ぼくは幼い顔立ちのまま萎びてきている。/結構だ。このまま生き続ければいい。生、そのものがイルージョンだと、今は思うようになった〉

野見山暁治氏が生きてこられた百年は、日本の百年の時代のきれぎれを線でなく面で捉えた、あくまでも私的な、キセキの追想の記録でもある。

【書評について】2022年10月から『サンデー毎日』の書評「遠回りの読書」を担当して、2025年4月20日号で18回目を迎えました。この度、広く皆様にお読み頂きたく、毎日新聞出版社のご厚意によって原稿を転載させて頂けることになりました。4月から毎月1回の更新でnoteに「書評」として投稿致します。ぜひご覧ください。

(*紹介した本からの引用は〈 〉になっています)

書評02『世阿弥最後の花』藤沢周著/『東京ヒゴロ』松本大洋著

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2022年12月11日号掲載)

薄暗闇の中、窓からは人工の灯りが差し込む、ディレクターの声が聞こえる。「カメラ回りました」、私は頷く。「スタート」、恐らくカメラ(ビデオ)の回ったスタジオ内はこの世で最も静かな空間であると思う。都内のスタジオに建てられたレトロな書斎、朝10時、私はただソファに身を沈めている。出演は私一人、モノクロ映像、本編は15分だが朝から撮り続けている。象徴的な老人、光と影、言葉はなく相手役もいない、俳優としてこんな機会は二度とない。ただぼんやりと映されるのでなく、居るだけでもう何かが始まっているような、そんな居住まいをこの作品で出来れば……。そこで撮影とは別に私の内面に景色を抱え込むため、頭に一冊の本を滲ませることを決めた。老い、夢と現(うつつ)、演者、居場所。

〈光とはなんと不思議なものでございましょう。〉〈七十を越えた背中には、まるで感情が表れない。痩せているにもかかわらず、侘しさや不安の色をもつゆとも見せず、ただそこにある、そこに座っている、という風情なのです。〉世阿弥元清、七十二歳。

藤沢周『世阿弥最後の花』(河出書房新社)である。ここに私の老いの行く末の道とこの撮影の肝があるように思ったのだろう、撮影と並行するかの如く、私は意識を小説の中の世阿弥にむけた。〈『目前心後』、目を前に見て、心を後ろに置け〉〈明け暮れの所作においても、自らの目の届かぬ所の動きを心で見ねばならぬ〉。世阿弥の心得をこの身に刻み、カメラの前に居続ける。

撮影はもう夕方に近い。耳を澄ますと、老いて独りの私に遠い幽玄の世界から、何よりも咲く花の美しさもあるが散る美しさもある、との言葉が微かに聴こえて来る。虚と実の境目があやふやになり、何処(いずこ)に向いているのかわからなくなっている自分の老いの行く末と演者としての立ち位置。先ずはこの場で無心になり、これからは自分の心と身体を何かに明け渡すような作業を繰り返し、与えられたその場、その時に集中するのが肝心なのであろう。本と少しは交信できているのだろうか……。カメラは回り続けている、書斎を出て一粒の種を蒔く。スタジオの隅から射す一筋の光、立ち上がると足元から長い影ができ、その後、蒔いた種が私の影と共に百年の時空を超えてマレーシアの森林へと続き、大樹に育っている場面になり持続可能な世界の作品は終わるのである。〈……一生はただ夢のごとし、たれか百年の齢(よわい)を期せん……〉

老翁世阿弥は失意のなか、流された佐渡の地で何を見、想い、どの様に舞ったか。

「カット」、ディレクターの声に私は夢から覚め、役から解放されるが、世阿弥の影がしばらくは私の影と重なり合い、頭から離れることはなかった。小説と撮影が出会い、幸せな併走であったと思う。

著者の世阿弥を書くという覚悟と緊張感が結実したこの作品は、研ぎ澄まされた美しい言葉と和歌を散りばめた一編の詩のようでもあり、その描写は残像として濃淡のある墨絵のごとく残り心を捉える。

この小説には時間をかけ少しずつ読み、一息入れて物語に浸り、本に栞を挿む喜びがあった。

私は団塊の世代である。小学6年生の時に初めて漫画が毎週発売されるようになった。『少年マガジン』『少年サンデー』である。それ以前は貸本屋や月刊『ぼくら』など。あのシリアスな大学時代にも傍らには必ず漫画があった。『ガロ』、 青年誌(私は宮谷一彦が好きだった)などが。

いつになったら漫画、コミックから離れるのかと思っていたが、ここに来てグッとくる物語が現れた。雑誌に連載されていたものが昨年コミックとして1巻目が刊行された、松本大洋『東京ヒゴロ』(小学館)である。

独特の味わいをもつ登場人物のキャラクター、そして拘りのカット割りの素晴らしさと引いた絵の完璧な作画、著者の世界。この秋にやっと2巻目が出た。私の漫画、コミックへのアプローチも、これが最後のものになるのは間違いない。

憧憬、郷愁、悔恨、再生、希望の全てがこのマンガ作品にはある。ともかくも格好良いのである。効率、生産性を声高に叫ぶ今の世に静かにノンと言い、愚直に自分の理想の漫画作品を追い求める編集者の夢が見果てぬものでないことを祈り、この体温のある静止画(漫画)の世界『東京ヒゴロ』を支持するものである。

【書評について】2022年10月から『サンデー毎日』の書評「遠回りの読書」を担当して、2025年4月20日号で18回目を迎えました。この度、広く皆様にお読み頂きたく、毎日新聞出版社のご厚意によって原稿を転載させて頂けることになりました。4月から毎月1回の更新でnoteに「書評」として投稿致します。ぜひご覧ください。

(*紹介した本からの引用は〈 〉になっています。文章中の時制は掲載当時のものです)