本と街

ここ大川「隅田川」の流れと共に暮らし40年を超える。しかしこの秋に横浜に引っ越すことにした。時間はまだあるが、少しずつ溢れ出した本の整理を始めた。狭い家のせいで本が溜まると何年かに一度、本の出張買取のS堂さんに来てもらっていたので、今回も頼んだ。若いご主人だが本のことをよく知っていて楽しい。私の長兄は30年前に亡くなっているのだが、彼の所有していた太宰治、島尾敏雄、織田作之助などの戦後まもない頃に出版された初版本が私の手元にあり、これを処分するのならと神保町の古書を扱われている店の中でも最も信用度のある書店を紹介された。

都内に緊急事態宣言の出される前の日、晴れた土曜日に、季節は少し早めだが、神保町のすずらん通りの揚子江菜館で、我が家毎年恒例の富士山(冷やし中華)を食べる目的も合わせて、その書店に兄貴の本を持ち込んだ。結果は私が大事に保管していなかったこともあり、思っていた値にはならなかったが、ツマはその古書店の静かな整然とした感じ、古書の山に、本を愛する雰囲気に魅せられていた。私はこの店で兄貴の本を処分してもらおうと思った。しかし、その中で思い出のために織田作之助の本を一冊だけ返してもらうことにした。近くの文房堂に行き、本の売値からすると高くついたが本の額装を頼み、ツマと揚子江菜館で昼御飯を食べ、少し神保町を散策して帰宅した。明日からは感染症のために古本屋さんまでもが休業するという。
いつもは少し裏道に入り「ミロンガ」などでお茶をするのだが、横浜に行けば、なかなか神保町にも来れないと思い、何年ぶりかで「さぼうる」に寄った。洋菓子の柏水堂、餃子のスイートポーヅなどは無くなったが、店も来ている人たちも神保町はいつもあまり変わらないのが好きだ。この古書の町で処分したこと、まあ兄貴も許してくれるだろう…。

本と私

病に倒れて7年が経つ。手足の不具合のリハビリや、たまの撮影の間にポツポツと、闘病のこと、亡くなられた忘れられないあの人たちのこと、今を励まされながらの大切な人たち、消えて忘れ去られた風景や時代のことなどを、ここ3年ぐらいかけて書いてきた。それが一冊の本として、私の初めての書き下ろしエッセイとして出版されることが決まった。6月半ばに刊行予定で、詳しくはまた5月の終わりにはお知らせできると思います。
俳優を生業として生きてきたが、病に倒れて不断の苦しみの中から、どうやら、もう一つの表現の道を与えられたようである。
幸せなことである。

映画『ノマドランド』の世界

映画『ノマドランド』は、社会から置き去りにされた、いや社会を置き去りにしたかのようなファーン(フランシス・マクドーマンド)と、彼女とすれ合う人たちを、クロエ・ジャオ監督は前作同様、カメラが撮らえる圧倒的で見事な自然の描写の中にその人間たちを放り込む。それゆえにか、そこで交わされるノマドたちの抑制された会話、営みは全てがあまりに詩的である。アマゾンの巨大倉庫すらも自然の砂漠のように見えてくる。

私は途中から、もしかして私が観ている、今スクリーンに映されているランドはこの世の世界ではない、あちら側の世界なのではないかと思った。それはファーンを一人で象徴的な自然の中に立たせる場面が多くて、その孤立の有り様が神がかったショットであり、会話、貧困、病、食、排泄などをリアルに撮ってはいるが、全体が何か大きなものに包まれていて、あまりにも絵画的で哲学的なものであったからだ。ノマドの世界の生態を描いてはいるが、この映画はもちろんドキュメントなどではなく、また映画館の席で映画のフィクションを愉しむものでもない。作り手の意思と文学的な作為が感じられるスクリーンに映し出されたものを私は観るのではなく、ただただ浴びていた。嫌いではない、むしろこの映画と私自身の距離感、関係性は好きである。

映画『ザ・ライダー』を観る。クロエ・ジャオ監督

やっと配信で映画『ザ・ライダー』を観た。中国系女性監督が撮った、アメリカの片田舎でのロデオを取り巻く人間模様である。いわゆる現代のカウボーイの姿なのであるが、優しく包まれ、それでいて夢の先をシリアスな目線で描かれている。

数年前に、私自身が頭を傷つけてその後遺症を抱え、以前のような自分のあるべき姿を見失い、アイデンティティを模索し苦しんだだけに、また元の居場所に戻ろうとする主人公の思いと行動に共感し、彼の気持ちの流れに胸がしめつけられた。そして家族、友人のあり様と、カメラが捉えた見事な大自然の風景の素晴らしさに息を呑む。ラストの結末に私は「それでも生きていく」という人間の切なさと強さを思った。

キャスト・エンドロールで家族も友人も俳優でなく本人が演じていることがわかり、そこに映画というものの可能性と奇跡が信じられ、私は静かな余韻と感動に包み込まれた。

この3月には監督の新作『ノマドランド』が公開されるという。愉しみである。

ドラマ「ハルカの光」の撮影現場が灯す温かいヒカリ

   

「ドラマを観ている人の想いをスーッと画面に惹きつけるように……そんな気持ちをあなたも感じながら……ね」私の右側に添えられたアリフのカメラを覗きながらカメラマンの河津さんが、ピントを合わせている助手さんに小声で囁いている。私の前、カメラの先にはこのドラマのヒロイン・黒島結菜さんと店長役の古舘寛治さん、その奥には赤い縁取りの大きなガラス窓に冬の日差しが差し込んでいる。私の左隣には渡辺大知君。ここは旧い街角に撮影場所として作られた、照明の名作を展示販売している店である。私と大知君はここに客として来ている。

11月の末、キャストは私と前記の三人。一つの素晴らしい名作照明を囲んで、穏やかでゆったりと的確な一人ひとりの演技が素晴らしい。私はその中にいることが、なにか、もの凄く貴重でかけがえのない大切な時間を過ごしているようで幸せな場所であった。撮影自体が大きな構えを取らないで、感染症にも気を遣いながら、みんながプロで無駄なく動き、プロデューサーの長澤さんが自ら動いて静かに次の用意をされている。私たち俳優は微妙なニュアンスの雰囲気を演じることに傾注し、後は監督の松原さんに任せている。撮影という虚構の中の関係なのであるが、それ故にか、このキャスト、スタッフ含めて十人くらいの人たちの貌が見えて、私には堪らなく愉しく気持ちが良い撮影現場であった。私達が囲むテーブルの前に置かれた一つの照明の灯りそれ自体が素晴らしい光を放っているのだが、また同時に影までもが何かを表している。

東日本大震災の十年目復興に向けてのドラマとしての光の物語である。ハルカ役の黒島さんを軸にしてジンワリと、人の胸に、心に染むドラマになっていると思う。あの撮影現場の雰囲気を伝えることができれば良いなと思う。ドラマを届けるということは皆がスーッと静かに画面に惹きつける、惹きつけられることなのだろうと思った。

NHK ドラマ「ハルカの光」(全5話) 

出演:黒島結菜、古舘寛治、イッセー尾形、渡辺大知ほか

脚本:矢島弘一 プロデューサー/演出:長澤佳也 松原弘志

制作統括:樋口俊一(NHK) 川崎直子(NHKエンタープライズ) 小川直彦(スパークル)

*2024年1月27日(土)午後11時30分〜 NHK総合で再放送されます

*第2話のゲストとして出演します。2024年2月3日(土)午後11時30分〜

      

「天使にリクエストを」初回の放送を観て。

NHK土曜ドラマ「天使にリクエストを〜人生最後の願い〜」は、感染症と長梅雨の中、再々クランクインから2ヶ月間で全5話を一挙に撮られた。台本ではロケが多く、制作スタッフ、レギュラーの人たちのスケジュールは大変だったろう。

個人的には、映画、ドラマでご一緒していた倍賞美津子さんと再会した。同じシーンはなかったがスタジオの前室で逢うことができた。顔を見て少しお互いの近況を話すだけで私は胸が詰まった。そして姉御に勇気と励ましをもらった。

主役の江口さんとは何度も共演しているが、今回、私はこの不具合の身体で思い切り彼に預けた芝居をしたが、フワァと包み込むように受け止めてくれ、緊迫感の中に温かいものが流れたのが芝居中に感じられて私は幸福者であった。そして上白石さん、志尊君のお二人も話はあまりしなかったが、フラットに接してくれて、新しいテンポとスタイルで私を少し驚かせてくれ楽しかった。

感染症の中で制約を受け厳しい状況でありながら、大森寿美男さんの命についての素敵な脚本を具現化し見事なドラマに仕上げた全てのスタッフを改めてリスペクトしたい。  

今、私はいつもラストソングのつもりで演っている。今回は歌えたかな…。

この街の書店が消えた

この辺りに移り住んで30年になる。周辺の街に比べてあまり変化がなく、公園を抱えて静かで落ちついた街である。それでも贔屓の魚屋さんがなくなり、旧い銭湯も消えた。そして今月、唯一の本屋さんが閉店した。日本橋に丸善本店、ネットでの通販もできるが、急ぎでない本は、取り寄せに時間はかかるが、私はこの本屋さんに注文していた。ベストセラーの類はあまり買うことはないので、私にはある種の自分の本棚感覚で馴染みがあった。やはり寂しい。

閉店の日に寄ってみた。少しベビーカーを引いたママさんの姿が目立つくらいで、入り口のドアに小さく閉店の報せが貼ってあるだけで淡々とした最後の日だった。寂しくはあったが大げさにイベントっぽくしないところが、この街の本屋の矜持があるようで良いなと思った。月刊の文芸誌を一冊抜き出し買った。散歩の途中でフラッと本屋さんを覗き、行きつけの喫茶店で煙草を喫んで時間を過ごす、私には当たり前だったことが消えていく…。が、この普通の日常があったことは忘れないでおこうと思った。

桜木紫乃作品『氷の轍』文庫化!その解説文を書く。

2016年、ABC朝日放送のスペシャルドラマ「氷の轍」に出演した。この縁で先日発売された文庫本に解説文を載せて貰った。3年前の釧路での撮影を一つ一つを思い出しながら、作家・桜木さんと、小説・テレビドラマ全てに関わられた人達に宛てた手紙を書くつもりで、敬意を持って書いたものです。

『氷の轍 北海道警釧路方面本部刑事第一課・大門真由』桜木紫乃 著。小学館文庫で発売中です。

秋の日に作家・島村利正を読む

猛々しいほどの夏の暑さから急に涼しくなり、大型の台風、大雨で、11月に入ると、真っ青の空が続く。こんな日は、以前は東京駅までバスで10分位の所に住む私は「一日旅」と名付けて、小田原、熱海、長野の善光寺・上田の柳町通りのルヴァンの二階、旧い街並みの栃木市と、朝早く出て夜には帰る日帰り旅をよく楽しんだ。

今年の秋は世の中が何やらやたらと騒がしい。書棚から島村利正の文庫本『奈良登大路町・妙高にて』を10年ぶりにぬきだした。秋の穏やかな日差しの中、島村利正を読む。奈良の飛鳥園には「奈良登大路町」に書かれた本の通りに行けた。飛鳥園には中庭があり、そこが喫茶になっており、飛鳥園で買った写真集などを見ながらコーヒーで寛いだ。

「仙酔島」の鞆の浦も福山での撮影ロケで行った。舟にも乗った。今もあの常夜灯が建つ、鞆の浦の美しい情景を覚えている。「残菊抄」は向島から大川を渡り柳橋、人形町、日本橋、菊を売り歩く娘の道順が今と変わらない。そして私のよく知る佃島の「佃島薄暮」。こうして、この秋の深い青空の下で再び島村利正の作品を読むと、その静寂さ、街並と風景が人の生き様と情に見事に絡み合い、小林清親の版画を観るが如く静止画の様でもある。書かれているのは昭和の初期と戦争前後の話であるが、人間のうたかたの生を、愛情を持って書かれていて、静かな励ましのようなものを感じ取る。

前にこの本を読んだ時には、次に長野に行く時は妙高高原まで行きたいと思っていた。それから随分時間はかかったが、いつか季節の良い時に妙高へは行きたいなと思っている。読み終えて、DVDで小津安二郎監督の「麦秋」をまた観る。

 

映画「駅までの道をおしえて」のこと

10月19日、「駅までの道をおしえて」の公開舞台挨拶があった。昨年の夏の終わりの頃に撮影した作品だ。

台本を読んですぐに決めた。グッとくる世界感が脚本にあったのだ。図書館に行き原作の伊集院静さんの本も読み、この映画に参加したい旨を伝えた。出演シーンはセリフもほとんどなく、主人公である孫のサヤカと2ページぐらいの出番であったが庭の縁側に座っている二人の描写が素晴らしかったのだ。

私はワクワクして衣裳合わせに行った。監督は野原に幻のプラットホームを作り本物の電車を使って撮影し、生者と死者が最後の別れの結界を設定すると言われた。そうフィールド・オブ・ドリームスか?! ぞくっとした。もう春夏秋冬一年以上かけて撮影して来ているクルーなのだ、CG合成ではない。私は気を引き締めた。

撮影は2ページほどであったが、朝から夜までビッチリ二日間かけて丁寧に撮られた。台本にサヤカのモノローグとしてあった「自分の周りから愛しいものが少しずつ去って行く気がした、いつか自分は一人ぽっちになってしまうのではないか…そう思った」という感覚を私は心の中でずっと持ち続けていた。

妻を亡くした祖父が縁側で呆然としていると、孫のサヤカが果物をそっと私の傍に置き横に座った。女優・新津ちせさん8歳。私は一気にこの世界に引き込まれた。俳優をしていると歳を取るという感覚がわからなくなることがある。私はおじいさん、老人という輪郭を俳優として自分に刻み込もうとその一歩を新津ちせさんのサヤカに、監督の時間をかけた丁寧なリードに任せた。

美術、メイク、衣裳、みんなが繊細な居住まいで、二人を包み込み、祖父と孫がお互いに亡くしたものへの感情が交差した。新津ちせさんの世界と交わり、まるで宇宙遊泳をしているように彼女に合わせることができたと思う。庭の花壇と孫以外のものは頭にない、俳優として演じるという意識下にないゾーンに入っていたのだろう、私はずっと胸が締め付けられていた。ワンシーンの無言の二人の存り様をまるまる二晩かけて監督は撮られた。今の映画の現場ではあり得ない時間を使って丁寧に描かれていた。

私は映画とは時間の切り取りだとも思う。刻々と過ぎる現実を、そして若さを老いを心情を切り取り残す。人が生きた様を日常のゆれを残す。この映画は新津さんのサヤカを通して、映画というものだけが持つ世界をキッチリと浮かびあがらせている。そして人が生きていくのに必ず通る様々な出逢いと別れを、大声を出さずに静かに、深く、誠実に、切り取っている。今の時代になくてはならない一本の映画だとも思った。

ラストシーンを撮る為に郊外の撮影場所に行った。夜の現場は夏草の生い茂る野原、スタッフさんを頼りに歩いて行くと、暗闇の前にボーッと灯りに照らされたプラットホームが浮かび上がっていた。その幻想的な美しさに胸が詰まり、私はまだ撮影前なのに、手作りの素晴らしい仕事を見せられた故か別れのシーンを撮る緊迫感からか、こみ上げてくるものを抑えきれなかった。そこはそのプラットホームは紛れもなくこの映画を創る全ての人達の行き交う夢の踊り場だなとも思った…。

映画「駅までの道をおしえて」原作・伊集院静、監督・橋本直樹、主演・新津ちせ。

公開中です。

新しい世界に踏み込んだ。

先日、NHKFMのオーディオラジオドラマを演り、録った。ラジオドラマの仕事はまるっきり初めてといえる。もちろん、オーディオの仕事をやらなかったのには、私なりの理由と考えがあり確信的であった。それが何故⁈

演出の真銅さんは30年位前に印象的なドラマでご一緒していて、彼がこの世界で頑張っていたのは当然知っていた。仕事を通してお互いに逢いたいなという気持があり、そして滝本祥生さんの脚本が、映画の隅っこにいる役者である祖父と孫娘の日常がリリックに説明的でなく書かれていて、ストレートに今の自分の気持がのせられた。70歳にしてラジオドラマへの冒険で、潰れた声をもってマイクに向かった。結果はわからないけれど、相手の若い女優さん二人にうまく引っ張られる形で、スタッフの周到なメカのお陰で、私なりのニュアンスというかタッチは出たかなと思う。私はこの新しい世界に紛れ込み、充実した気持ちの良い時間を過ごすことができて、自分の長い俳優としてのキャリアに一本のラジオドラマというものが加わり、嬉しいなというシンプルな感慨が残った。