書評12『猫と ねこのエッセイアンソロジー』/『高峰秀子 暮らしの流儀 完全版』(高峰秀子・松山善三・斎藤明美共著)

『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(202462日号掲載)

今年の冬は寒い日が多く、厳しかったように思う。

その間、ウチの猫君はずっと、リビングのホットカーペットの上にいた。思い切り身体を伸ばし、背中、お腹をゴロンゴロンと反転して全身を温めていた。「君は一日中そこにいるんだ、あったかくて良いね」と声をかけると「ファーン」と答え、うるさいなと私を睨みつけている。

午後になると毎日決まった時間に地域猫の母子が連れ立って庭を横切る。ウチの猫は縁側の窓ガラスに顔を押し付け、その姿をジッと眺め「クーン、クェーン……」と自分の存在をアピールしている。母親は後ろからついてくる仔猫を守るように窓のガラス越しに見えるウチの猫君をチラッと一瞥して玄関に用意した水を飲み、カリカリを食べて消えていく。ウチの猫は寂しそうに背中をまんまるにして見送り、庭を眺めている。彼は保護猫譲渡のIさんの話では、生まれてすぐに母親に置き去りにされ、Iさんの処に来た時はミルクが飲めなくてスポイトでミルクを与え育てたとのこと、母親の愛情をまったく知らないのだろう。

母親を知らない彼が、どんな気持ちで、毎日庭を横切る母子を見ているのかを思うと、温かいところで、ぬくぬくと、ウチではそれで良いんだと、私はそのまんまるに身を縮めた後ろ姿を見てしんみりとし、その場を離れようとすると彼はその気配を感じてか、フン別に何でもないよ、といわんばかりに、いきなりはしゃぎだし私の足に絡みついてくる。ウーン、猫のこと知りたい……。私はこの本『猫と ねこのエッセイアンソロジー』(河出文庫)に手を伸ばし少しずつ読む。夏目漱石から角田光代、なんと約百年の間に書かれた三十三人の作家の猫に関する短編、エッセイアンソロジーである。著名な作家さんたちの猫本なのだ。本書については何かを私が書くよりも、その執筆人の名を記すほうがこの本の魅力が増すであろう。作家たちの猫へのストレートなそれぞれの思いがあふれている。

猫と仲良しになるには、猫を飼っているのでなく、〈自分も猫化して、猫さんとおんなじになっちゃえばいい〉。あの思想家・吉本隆明の言葉である。

村上春樹、谷崎潤一郎、佐野洋子、伊丹十三、島尾敏雄、村山由佳、保坂和志、養老孟司、内田百閒、宮沢賢治、池波正太郎、諸氏。どこから読んでも百年の猫を編んだ全編が素晴らしい……そして教わる。

ある一本の映画を観て以来、映画女優・高峰秀子にハマった。今年は生誕百年でクローズアップされてもいる。私よりふた昔以上前の世代の人たちが実際のスクリーンで魅了された女優さんだ。いまは配信になるが観ることの出来る映画は全て観た。その在りようは、演技は見事である。昭和の時代、最高の女優の一人であろう。そうなると私の気質(たち)なのだが高峰秀子が書いた本、随筆(多くの著書がある)を読んでみたくなる。そして数冊読む中での一作。『高峰秀子暮らしの流儀完全版』(高峰秀子・松山善三・斎藤明美共著)(ちくま文庫)で、エーッと思った。「高峰秀子が愛した猫」という章があったのである。

五十五歳でキッパリと映画界から引退されて、夫婦二人だけの(つい)の棲家として豪邸を壊して完成させた理想の家は、客を招ばない、誰も入れない家。建てるに際して、〈家具や長年集めた書画骨董、何百セットという食器、衣類、そして人間関係……、あらゆるものを捨てたのである。衣・食・住。人が生きる上でなくてはならない三要素を、遂に自身の思うままに、願う通りに、完璧に仕上げた。〉

その高峰秀子さんが晩年の日々、猫を愛でていたというのだ。驚きと、何ともいえない嬉しさがあった。著書にはご本人、そして彼女が身につけていた小物(旅の手帖、ブローチ)などのカラー写真、もちろん猫も掲載されている。

読み人に語りかけるような文体に引き込まれて読んでいると一瞬フッと今、高峰秀子さんは現役で生きておられるのではとの想いにとらわれ、良質なドキュメントを一本見たような気がした。

本を書き残されたことで表現者として時代の壁を越えられたのである。彼女の養女になられた斎藤明美さんが書かれた著述が貴重である。

季節も変わり、縁側の陽射しの中、板の間でくつろぐ私の側にはいつの間にか猫君が寝そべっている。

【書評について】2022年10月から『サンデー毎日』の書評「遠回りの読書」を担当して今年で4年目を迎えます。広く皆様にお読み頂きたく、2025年4月から毎日新聞出版社のご厚意によって過去に掲載した原稿を転載させて頂いています。毎月1回の更新でnoteに「書評」として投稿致していますので、ぜひご覧ください。

(*紹介した本からの引用は〈 〉になっています)