『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2023年7月16日号掲載)
通じ合うはずのない回路に、なにやら温かいものがまじり響きあう。
私は人の目を見て話すことが苦手である。だからといって、相手に対していい加減なことを言っているわけではない。少し目線を落としてはいるが、正直にものを言い、キチンと伝えたいことを話す。多分、相手にも通じている……と思う。もうここまで来たら、人間社会ではしかたがない。
「キミ、その棒みたいなものは何だい?」「うん、これは杖と言ってね、歩く時には便利なんだ」「ふーん、まっ、いいか、オイラについて来なよ、一緒に散歩に行ってやるよ」「お願いします……」庭を横切り、人通りのない静かな通りに出る。後を付いて行くが三軒先の大きな庭の家の前まで来るといつの間にかいなくなる。あまりの私のユックリとした歩きに呆れ、また愚痴を聴くのもウンザリなのであろう、天気の良い日はそんなことのくりかえしなのであった。
引っ越してきて二年になる。庭先に黒猫(黒ゴマと勝手にウチで名付けている)が姿を見せるようになって半年、黒ゴマくんはいつもジッと私の目を見てくれるので、私も思わずその目に引き込まれて見返して話しかける。
角田光代さんの『明日も一日きみを見てる』(KADOKAWA)を読む。前作の『今日も一日きみを見てた』の続編で、著者と愛猫トトちゃんが無条件に向き合う愛情あふれる生活交流エッセイである(著者の一軒家への引越し猫エピソードもある)。そこで、著書にならい私たちも高層住宅から一軒家に引っ越したのを機に、諸事情で飼えなかった念願の猫との暮らしを思い、ウチで飼う決断をした。
さくら耳の黒ゴマくんに、その目を見て聞いてみた、「どうだいウチの猫になるかい?」黒ゴマ君はジーと考えていたようだが、「フンッ」と頭を傾げて、隣家との境になる塀に駆け上がり向こうに消えた。何軒かの家に出入して自由に暮らす道を行くんだなと……。それで保護猫譲渡カフェに行き、家のものが直感で決めた猫(生後七ヶ月オス)がやってきた。名前はうずら豆模様なのでウズラと名付けた。ゴロンゴロンと懐くが、歩きやジャンプはサバンナのライオンの歩きのように(実際には見たことはないが)格好が良い。テレビで岩合さんのネコ番組を観ていたら、いきなりテレビの画面をめがけて飛び込んだ。二、三匹の猫たちが画面には映っていたので仲間と思ったのだろう。保護猫カフェでは他の猫たちと遊んでいたのだからな。生後三週間で置き去りにされていたらしい。テレビ画面に飛びつく様を見ていたら、この子は精一杯生きてきたんだと胸が締め付けられた。
角田さんが猫(トト)に身も心も全開して書かれているこの本は猫界初心者の抱える緊張や不安をユーモアに変えてくれる。愉しみながらも有難い著書なのである。
家の中の空気に柔らかな風が吹き、何もかも見透かされたような驚きがやってきた。生命あるものは全てが繋がりあっていることをあらためて思う。まだ一歳足らず、ウズラは私よりきっと長く生きるであろう、ウチの人たちを頼みますよ、と話しかけたりする。ウズラはわかったよ、とばかりにゴロンゴロンと伸びをして転げる。
著者のあとがきが胸に落ちる。〈ものごとは変わっていく。だから、せめて私の日々に大きな変化がないようにと、思うようになった。猫のいる暮らしのしずけさのなかにいたい。昨日と同じ今日、今日と同じ明日をくり返していきたい。それこそが幸福だと思うようになった〉
小さきものが私の中にジワッと立ち上がり、そこにあらわれたものに感情を寄せていく静かな時間。こんな気分に包まれた時には、いつも手に取る本がある。『あらわれしもの』(最上一平著、ささめやゆき絵/新日本出版社)である。
山里の集落に住む老人たちの短編集。亡くした妻との一夜の出逢い、一歳二ヶ月の孫とのたどたどしい交流と夢想。今はこのような本の世界のやさしさに紛れこみたい。
今日は留守番である私の前にウズラは安心しきって身を投げ出し寝そべっている、ときどきふりむいて私を確かめる。目が合う、思わず笑みがこぼれる。
今度逢う人には、ジッと目を見て話してみようかな……と思う。
【書評について】2022年10月から『サンデー毎日』の書評「遠回りの読書」を担当して、2025年4月20日号で18回目を迎えました。この度、広く皆様にお読み頂きたく、毎日新聞出版社のご厚意によって原稿を転載させて頂けることになりました。4月から毎月1回の更新でnoteに「書評」として投稿致しています。ぜひご覧ください。
(*紹介した本からの引用は〈 〉になっています)