三谷昇さんのこと、追想の記として。

三谷昇さんが亡くなられた……。
私の部屋の本棚には、あなたが出演された映画(「おろしや国酔夢譚」)の海外ロケの時に、お土産で頂いたドン・キホーテの木彫りの置物、そして壁には、私の結婚祝いに描いてくださった絵がかかっています。
優しくて温かかった、明るくて、激しい人でもあった。そして生涯、演劇への愛のつまった筋の通った人、演劇の先輩であった。

1980年代に入り、新宿の西口はその頃の酷い地上げで荒れ地であったが、その中に、成子坂の手前を右に折れ、少し奥まったところにあった鉄工所の跡地に、私たちのアトリエ、稽古場ができた。四方の壁全面が白黒の市松模様に塗られ包まれた、念願の劇団の劇場を兼ねたアトリエだった。
その時の先輩たち、芥川比呂志、中村伸郎、南美江、岸田今日子、仲谷昇、神山繁、文野朋子、そして……三谷昇さん。もう、みんな居なくなってしまった……。若い私の演劇の何もかもが詰まった、熱気にあふれた聖地でもあった。
温かくも厳しく、泣き、笑い、シリアスをユーモアを、一つの作品に皆で立ちかうこと、同じベクトルを信じることを教えてくださった人たち。そこにはいつも未熟な私を包み込み、若かった私たち俳優に「仲間じゃないか!」と言って叱咤激励してくださった三谷さんがいらした。三谷さん、新宿は高層ビルが建ち並び、もうあの周辺も変わってしまって跡形もありませんが、今、あなたのことは消え去ったアトリエと共に、懐かしさと大切な残像として私の胸を締めつけます。
あちらでは、思い切ってお芝居の出来る人たち(別役実さんも)が、あなたを待っていらっしゃると思います、愉しんでくださいね三谷さん、お疲れ様でした、そして有難うございました……。