『サンデー毎日』「遠回りの読書」から(2024年4月7日号掲載)
〈あたしがソコ・シャネル。こっちのおばさんがフラワーひとみ、このおじさんがチャーリー片西。〉〈よろしくね〉昭和の頃……。
釧路の幣舞橋(ぬさまいばし)を渡りグランドキャバレー「パラダイス」に酔客として行く。
「オリーブの首飾り」を合図にマジック、シャンソン、ストリップの演し物でショウタイムが始まる。マジシャンがステージを終え、マイクを持った。
〈続きましては、シャンソン界にこの人ありと謳われた実力派歌手の登場でございます。人生の浮き沈みから日の光その影まですべてを歌い上げたとき、人はみな心に灯る灯(ともしび)を知るでしょう。今宵心にソコ・シャネル〉拍手の中、〈―希望という名の あなたをたずねて〉〈歌い出しの声が地の底から湧き上がるような恐ろしさを放った。〉
聴きたい…観たい。
桜木紫乃さんの『俺と師匠とブルーボーイとストリッパー』(角川文庫)が文庫化された。私の中に溶け込んだ、あの四人に逢いたくて何度も読み返す。小説(物語)と出会い、読むことでしか味わえない悦びがある。マジック、歌、ストリップ、そして照明のことまでもすべてに完璧な裏付けがありプロとしての芸人たちが著書のなかで映像として浮かび、息づきリアルに立ち上がってくる。本作品には常に音楽が流れている。スウィングし、時にはスローなジャズを挟み、緩急をつけて著者は執筆中には身体を少し揺すりながら書かれているのではないかと思った。
四人のキャラクターがカルテットとして軽快なリズムを刻み、見事なハーモニーを奏でてクスッと笑わせてもくれるがそれは精一杯ゆえにこぼれ落ちる笑いであり、その流れのなかで、それぞれが抱えこむ過去も丁寧に書かれていて生きることの哀しみの描写、言葉は私の身体に入り沁みる。血を分けた身内よりも互いの一期一会の相手に心を開き気持ちを寄せ合い付き合う。出会いと別れを繰り返す生業を一生続け生計を立てている芸人たち、情があり、魅力的である。自分にとっても切実度の濃い作品であった。
私も虚構の仕事(映画、ドラマ)に携わってきた。その撮影現場ではその都度スタッフ共演者との出会いと別れを繰り返す。もう二度と組むことのない緊張感を保ちながら虚構(劇)での互いの繋がりを信じて擬似家族として成立するための撮影を続けていく。
著者は舞台に立つ芸人たちの異彩を放った在りようを通して、読者に芸というものの何たるかを投げかけて愉しませてくれる。
〈マジックを失敗しながら、ステージを成功させている〉〈その失敗で飯を食うという肝の据わり方がこの男の芸なのか。〉この自称、世界的有名なマジシャン。〈誰が聴いていなくても、アタシは歌う。底の底まで落ちたって、どんなどん底にいようとも、歌い続ける〉ソコ・シャネル、名の由来はどん底のソコなのだ。〈演歌もロックも、みんなシャンソンなの。ひとの生きる切なさや怒りを閉じ込めた歌は、みんなシャンソンと呼ぶのよ〉。
それぞれの人生をしたたかに生きる擬似家族としての彼、彼女らに混じり揉まれた「俺」が若い自分のこれからの生き方を次第に模索する。そして亡くなった父を思い起こし、疎遠だった母との新しい関係に踏み出す作劇には膨らみがあり温かい。最後には、作中に底通音として流れていた音楽は止み、その余韻の中での見事な結末が用意されている……泣いた。
人生の流れというものは自分にふさわしいところに自然に流れていき、あるべき出会いの縁に行き着くものだと桜木作品は教えてくれる。
過日、その擬似の家族を築くため映画の撮影で何度か東京に通った。東京を離れてまだ二年なのにその激変ぶりに驚いた。五十年以上過ごした東京。少し寂しく、江戸の匂いを求めて江戸暮らしの達人・杉浦日向子さんの著書『江戸におかえりなさいませ』(河出文庫)を読んだ。含蓄がある。江戸テンポは実にスローだったようで、なにごとにも八分の加減で、いつも挨拶を欠かさないのが江戸(東京)流とのこと。著書を読むことで肩の力がぬけ、これからの時代はオリジナルの生活スタイルを作らねばと思った。変わりゆくものをただ嘆くだけでなく、刻々と新しくなる今の東京に私のありし日の懐しい思いを重ね合わせると、見えてくる街が実に味わい深く変貌するのだった。
【書評について】2022年10月から『サンデー毎日』の書評「遠回りの読書」を担当して今年で4年目を迎えます。広く皆様にお読み頂きたく、2025年4月から毎日新聞出版社のご厚意によって過去に掲載した原稿を転載させて頂いています。毎月1回の更新でnoteに「書評」として投稿致していますので、ぜひご覧ください。
(*紹介した本からの引用は〈 〉になっています)