10月19日、「駅までの道をおしえて」の公開舞台挨拶があった。昨年の夏の終わりの頃に撮影した作品だ。
台本を読んですぐに決めた。グッとくる世界感が脚本にあったのだ。図書館に行き原作の伊集院静さんの本も読み、この映画に参加したい旨を伝えた。出演シーンはセリフもほとんどなく、主人公である孫のサヤカと2ページぐらいの出番であったが庭の縁側に座っている二人の描写が素晴らしかったのだ。
私はワクワクして衣裳合わせに行った。監督は野原に幻のプラットホームを作り本物の電車を使って撮影し、生者と死者が最後の別れの結界を設定すると言われた。そうフィールド・オブ・ドリームスか?! ぞくっとした。もう春夏秋冬一年以上かけて撮影して来ているクルーなのだ、CG合成ではない。私は気を引き締めた。
撮影は2ページほどであったが、朝から夜までビッチリ二日間かけて丁寧に撮られた。台本にサヤカのモノローグとしてあった「自分の周りから愛しいものが少しずつ去って行く気がした、いつか自分は一人ぽっちになってしまうのではないか…そう思った」という感覚を私は心の中でずっと持ち続けていた。
妻を亡くした祖父が縁側で呆然としていると、孫のサヤカが果物をそっと私の傍に置き横に座った。女優・新津ちせさん8歳。私は一気にこの世界に引き込まれた。俳優をしていると歳を取るという感覚がわからなくなることがある。私はおじいさん、老人という輪郭を俳優として自分に刻み込もうとその一歩を新津ちせさんのサヤカに、監督の時間をかけた丁寧なリードに任せた。
美術、メイク、衣裳、みんなが繊細な居住まいで、二人を包み込み、祖父と孫がお互いに亡くしたものへの感情が交差した。新津ちせさんの世界と交わり、まるで宇宙遊泳をしているように彼女に合わせることができたと思う。庭の花壇と孫以外のものは頭にない、俳優として演じるという意識下にないゾーンに入っていたのだろう、私はずっと胸が締め付けられていた。ワンシーンの無言の二人の存り様をまるまる二晩かけて監督は撮られた。今の映画の現場ではあり得ない時間を使って丁寧に描かれていた。
私は映画とは時間の切り取りだとも思う。刻々と過ぎる現実を、そして若さを老いを心情を切り取り残す。人が生きた様を日常のゆれを残す。この映画は新津さんのサヤカを通して、映画というものだけが持つ世界をキッチリと浮かびあがらせている。そして人が生きていくのに必ず通る様々な出逢いと別れを、大声を出さずに静かに、深く、誠実に、切り取っている。今の時代になくてはならない一本の映画だとも思った。
ラストシーンを撮る為に郊外の撮影場所に行った。夜の現場は夏草の生い茂る野原、スタッフさんを頼りに歩いて行くと、暗闇の前にボーッと灯りに照らされたプラットホームが浮かび上がっていた。その幻想的な美しさに胸が詰まり、私はまだ撮影前なのに、手作りの素晴らしい仕事を見せられた故か別れのシーンを撮る緊迫感からか、こみ上げてくるものを抑えきれなかった。そこはそのプラットホームは紛れもなくこの映画を創る全ての人達の行き交う夢の踊り場だなとも思った…。
映画「駅までの道をおしえて」原作・伊集院静、監督・橋本直樹、主演・新津ちせ。
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